関西の美容師さんから、東日本へ。神戸から東日本へ。繋がっていく“ご縁”


チームゴエン

この度、東日本大震災にて被災された地域の皆様、関係者の皆様に心中よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げますとともに、リチャードプランドシステムとしてできるかぎりの支援活動を行ってまいります。

有限会社リチャードプランドシステム

※関西通信Vol.88 掲載された内容を引用したものです。

関西の美容師さんから、東日本へ


今、大変な境遇の方のために何かしたい。
そんな風に想い、現地に飛んだ美容師さんの過去と現在、
そして未来に繋がるお話です。

神戸から東日本へ。繋がっていくご縁

本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋。1995年の阪神・淡路大震災で地盤がずれ、長さが1m伸びたといわれている。
今回インタビューが行われたのは、東に約1kmほど離れた場所。地震の衝撃は、凄まじいものだった。「ドーンと突き上げる感じがあまりにも強く、直後はミサイルでも落とされたのではないかと…。
時間が経ってようやく、地震だったことが分かってきました。神戸市中部・東部の被害がとても大きいということも」。震源地にはほど近かった垂水区だが、神戸市中部・東部に比べれば被害は少なかったという。「あちらでは建物が壊れ、至る場所で火災が発生していましたからね…。恐ろしい光景でした。それに比べると、垂水はまだ落ちついていました」。とはいえ、垂水区周辺もライフラインが止まり、物資もすぐに不足するような状態。家が壊れた住民もいた。「何か出来ることはないか、と考えたんです。それが、無償シャンプーでした」。すぐに、ガスコンロをかき集めた。大きな寸胴に水を入れ、コンロで温める。それをペットボトルに入れ、水と混ぜて適温にして流す。「最初は停電していたので、洗いっぱなしで帰ってもらっていました。電気が通ってからは、自分でドライヤーで乾かしてもらい…。非常時ですから、たくさんの人の頭を洗うことに専念したかったんです」。日に日に、豊さんたちを訪ねてくる人は増えていった。「ごめーん、そこに座っといて。ドライヤーそこにあるから、乾かしていってな。そんなお客様との会話が飛び交っていました」。その奮闘っぷりは、離れた場所にも届いた。「加古川の知人たちが、ガスコンロとボンベを送ってくれました。ボブ(豊さんの愛称)たちが頑張ってるから、自分たちも何かしないと、と」。遠くから外国人が通ってくるケースも目立った。「不思議だなぁと聞いてみたら、ラジオ局が私たちの情報を配信していたんです」。Kiss-FM KOBEだった。神戸周辺に住む外国人に向け、日本語と英語の二ヵ国語放送を行うFM局。震災直後、被災者のための情報を流し続けていた。炊き出しや浴場などの情報に混ざり、豊さんたちの無償シャンプーも紹介されていたのだ。「中には4時間も待って下さる方もいました。こんなにも必要とされるなんて、思ってもいませんでした」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから16年後。東日本大震災が起こる。豊さんには人ごととは思えなかった。そしてそれは、リチャードのスタッフも一緒だった。「たとえば岡田という女性スタッフは、いち早く『何かできないか』と発言しました。16年前、彼女や彼女の地元は大きな被害を受けました。同時に、多くのサポートも受けたと。他にも、そんな想いを抱えているスタッフがたくさんいます。私は、彼らの想いを受け止めることにしました」。まず最初に行ったことは、募金箱の設置。そして、情報収集を始めた。「ボブのことだから、被災地にすぐ飛び込むだろうと思った方が多かったようですが(笑)。急に行っても、かえって困惑させてしまうこともあり得るので…」。ボランティアを心から喜んでもらえるか否か。それは、事前の情報収集にかかっている。「だから、まずは被災地に連絡を取り、話を聞かせてもらいました」。例えば、豊さんはいくつかのNPOで活動している。東日本にも、その仲間がいた。自分達を必要としている人がいないか、新たにパイプ役を引き受けてくれる人がいないか聞き続ける。「どんどん聞いていく中で、私たちが必要とされる避難所が見つかりました」。行き先は、宮城県・南三陸町。「参加スタッフを募り、彼らの家族にどうして行くのか・何をしたいのか説明をし、了承をいただいてから行きました」。一行はTEAM GOENと名付けられた。4月17日、神戸を出発。ハサミやクロス、そして1995年に活躍した寸胴も一緒に。

尊 皆で乗り越えよう。豊秀之

大津波で面積の7割が被害を受けたといわれる南三陸町。「亡くなった方も、行方不明の方もたくさんおられて、捜索が行われていました」。TEAM GOENは志津川小・中学校の2つの避難所に向かった。「まだまだ混乱している状態であるにも関わらず、地元の人は温かく受け入れてくれました」。カットをしながら、自分の話やあの日のことを話してくれる人たちもいた。「私たちは、お話を聞くプロです。カウンセラーだけではカバーしきれない部分は、美容師が埋められるのではないかと思っているほどです」。だから、被災した人の話をていねいに聞き、気分を和ませようと努めた。
「私は主に掃除係(笑)。髪の毛が飛んでいかないよう、スタッフが切ったそばから掃くんです」。そんな豊さんになついてくる、小学生の男の子がいた。「カンチョー、とか言いながら、ちょっかいをかけてくるんです。避難所の雰囲気を明るくしてくれる。元気な男の子でした」。しかし、その子のお父さんも、津波に飲まれて亡くなったのだと聞いた。「そんな子が、たくさんいるんです。とても辛いのに、周りのことを気遣って、元気に振る舞うんですよね…」。そんな南三陸町の子どもたちに贈りたいものがあった。「神戸の小学校の子どもたちが、寄せ書きを書いてくれたんです。それを、被災地の子ども達に渡しました」。受け取ったその男の子は「僕のもの」と大はしゃぎだったという。「みんなのものだよと諭し、小学校に渡しました。他の子も先生たちも、すごく喜んでくれました」。2日目には、他の美容師と合流し、合同カットを行った。「東京のサロンに勤めている2人組と、大分県の美容室と一緒にカットしました。大分の方たちは、自動シャンプー機を持って来られていましたよ」。TEAM GOENとは、リチャードが普段から行っている『ご縁を広げ絆を深め社会を笑顔にする活動』GOEN PPOJECTから派生した。「南三陸町で出会った方と新しい絆ができ、繋がることが出来たと感じています」。
TEAM GOENは5月にも南三陸町に行き、4月の訪問時に出会った方とも再会したという。「新たなスタートを切られた方もいらっしゃったり、新たな交流も生まれました」。こういった支援は、続けることが大切と考えている。「震災直後に比べ、確かに被災地の様子は落ち着いてきたかもしれません。しかし、復興への道のりは長い。だから、TEAM GOENはまだまだスタートラインに立ったばかり。これからもずっと、私たちの力が必要とされる限り、一緒に頑張っていきたい、乗り越えたいと思っています」。

Love of Life
あの時、私たちも・・・いま、私たちにできること、あの時いただいた希望と真心を今度はわたしたちが東日本へ届けたい。

有限会社リチャードプランドシステム 代表取締役 豊秀之

DSC01914.JPGDSC_0149.JPGP1070499.JPGP1070453.JPG
P1070503.JPGDSC01897.JPGP1070504.JPGDSC_0158.JPG