
本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋。1995年の阪神・淡路大震災で地盤がずれ、長さが1m伸びたといわれている。
今回インタビューが行われたのは、東に約1kmほど離れた場所。地震の衝撃は、凄まじいものだった。「ドーンと突き上げる感じがあまりにも強く、直後はミサイルでも落とされたのではないかと…。
時間が経ってようやく、地震だったことが分かってきました。神戸市中部・東部の被害がとても大きいということも」。震源地にはほど近かった垂水区だが、神戸市中部・東部に比べれば被害は少なかったという。「あちらでは建物が壊れ、至る場所で火災が発生していましたからね…。恐ろしい光景でした。それに比べると、垂水はまだ落ちついていました」。とはいえ、垂水区周辺もライフラインが止まり、物資もすぐに不足するような状態。家が壊れた住民もいた。「何か出来ることはないか、と考えたんです。それが、無償シャンプーでした」。すぐに、ガスコンロをかき集めた。大きな寸胴に水を入れ、コンロで温める。それをペットボトルに入れ、水と混ぜて適温にして流す。「最初は停電していたので、洗いっぱなしで帰ってもらっていました。電気が通ってからは、自分でドライヤーで乾かしてもらい…。非常時ですから、たくさんの人の頭を洗うことに専念したかったんです」。日に日に、豊さんたちを訪ねてくる人は増えていった。「ごめーん、そこに座っといて。ドライヤーそこにあるから、乾かしていってな。そんなお客様との会話が飛び交っていました」。その奮闘っぷりは、離れた場所にも届いた。「加古川の知人たちが、ガスコンロとボンベを送ってくれました。ボブ(豊さんの愛称)たちが頑張ってるから、自分たちも何かしないと、と」。遠くから外国人が通ってくるケースも目立った。「不思議だなぁと聞いてみたら、ラジオ局が私たちの情報を配信していたんです」。Kiss-FM KOBEだった。神戸周辺に住む外国人に向け、日本語と英語の二ヵ国語放送を行うFM局。震災直後、被災者のための情報を流し続けていた。炊き出しや浴場などの情報に混ざり、豊さんたちの無償シャンプーも紹介されていたのだ。「中には4時間も待って下さる方もいました。こんなにも必要とされるなんて、思ってもいませんでした」。
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それから16年後。東日本大震災が起こる。豊さんには人ごととは思えなかった。そしてそれは、リチャードのスタッフも一緒だった。「たとえば岡田という女性スタッフは、いち早く『何かできないか』と発言しました。16年前、彼女や彼女の地元は大きな被害を受けました。同時に、多くのサポートも受けたと。他にも、そんな想いを抱えているスタッフがたくさんいます。私は、彼らの想いを受け止めることにしました」。まず最初に行ったことは、募金箱の設置。そして、情報収集を始めた。「ボブのことだから、被災地にすぐ飛び込むだろうと思った方が多かったようですが(笑)。急に行っても、かえって困惑させてしまうこともあり得るので…」。ボランティアを心から喜んでもらえるか否か。それは、事前の情報収集にかかっている。「だから、まずは被災地に連絡を取り、話を聞かせてもらいました」。例えば、豊さんはいくつかのNPOで活動している。東日本にも、その仲間がいた。自分達を必要としている人がいないか、新たにパイプ役を引き受けてくれる人がいないか聞き続ける。「どんどん聞いていく中で、私たちが必要とされる避難所が見つかりました」。行き先は、宮城県・南三陸町。「参加スタッフを募り、彼らの家族にどうして行くのか・何をしたいのか説明をし、了承をいただいてから行きました」。一行はTEAM GOENと名付けられた。4月17日、神戸を出発。ハサミやクロス、そして1995年に活躍した寸胴も一緒に。

大津波で面積の7割が被害を受けたといわれる南三陸町。「亡くなった方も、行方不明の方もたくさんおられて、捜索が行われていました」。TEAM GOENは志津川小・中学校の2つの避難所に向かった。「まだまだ混乱している状態であるにも関わらず、地元の人は温かく受け入れてくれました」。カットをしながら、自分の話やあの日のことを話してくれる人たちもいた。「私たちは、お話を聞くプロです。カウンセラーだけではカバーしきれない部分は、美容師が埋められるのではないかと思っているほどです」。だから、被災した人の話をていねいに聞き、気分を和ませようと努めた。
「私は主に掃除係(笑)。髪の毛が飛んでいかないよう、スタッフが切ったそばから掃くんです」。そんな豊さんになついてくる、小学生の男の子がいた。「カンチョー、とか言いながら、ちょっかいをかけてくるんです。避難所の雰囲気を明るくしてくれる。元気な男の子でした」。しかし、その子のお父さんも、津波に飲まれて亡くなったのだと聞いた。「そんな子が、たくさんいるんです。とても辛いのに、周りのことを気遣って、元気に振る舞うんですよね…」。そんな南三陸町の子どもたちに贈りたいものがあった。「神戸の小学校の子どもたちが、寄せ書きを書いてくれたんです。それを、被災地の子ども達に渡しました」。受け取ったその男の子は「僕のもの」と大はしゃぎだったという。「みんなのものだよと諭し、小学校に渡しました。他の子も先生たちも、すごく喜んでくれました」。2日目には、他の美容師と合流し、合同カットを行った。「東京のサロンに勤めている2人組と、大分県の美容室と一緒にカットしました。大分の方たちは、自動シャンプー機を持って来られていましたよ」。TEAM GOENとは、リチャードが普段から行っている『ご縁を広げ絆を深め社会を笑顔にする活動』GOEN PPOJECTから派生した。「南三陸町で出会った方と新しい絆ができ、繋がることが出来たと感じています」。
TEAM GOENは5月にも南三陸町に行き、4月の訪問時に出会った方とも再会したという。「新たなスタートを切られた方もいらっしゃったり、新たな交流も生まれました」。こういった支援は、続けることが大切と考えている。「震災直後に比べ、確かに被災地の様子は落ち着いてきたかもしれません。しかし、復興への道のりは長い。だから、TEAM GOENはまだまだスタートラインに立ったばかり。これからもずっと、私たちの力が必要とされる限り、一緒に頑張っていきたい、乗り越えたいと思っています」。





